しかけ絵本のアトリエ

お気に入りの絵本、しかけ絵本づくりのこと、ポップアップカードなどについて

エリック・カールの絵本と翻訳の工夫②:『えを かく かく かく』意訳を超える踏み込んだ表現

エリック・カールさんの絵本について、翻訳をテーマにした3回シリーズの2回目です。
日本語版と英語版を比較することで、その違いを味わいつつ、翻訳者は何を重視し工夫しているのかを探っていきたいと思います。

どちらを買えばいいか迷っている方にも、参考にしていただければ幸いです。


↓↓ 1回目の記事はこちら
  

rumi-o.hatenablog.com


今回取り上げたいのは、
えを かく かく かく』/The Artist Who Painted a Blue Horse”


【日本語版】

※日本語版の画像については、全て偕成社サイトへのリンクです

https://s3-ap-northeast-1.amazonaws.com/kss-data001/book_images/9784033482804.jpg

えを かく かく かく
エリック・カール アーサー・ビナード偕成社,2014)

 

【英語版】
※画像はAmazonへのリンクです

The Artist Who Painted a Blue Horse

The Artist Who Painted a Blue Horse”
Eric Carle
(World of Eric Carle,2011)

この作品については過去の記事でも紹介し、感想などを書いています。
一部重複するところもありますが、今回は翻訳にスポットを当てて見ていきたいと思います

先に結論を言うと、日本語版・英語版の文章はかなり大きく違っています


↓↓ 過去の記事はこちら

rumi-o.hatenablog.com 

 

 

作品の内容

《あらすじ》
ぼくがキャンバスに描くのは、青い馬、赤いワニ、黄色い牛…
ぼくはえかきだ。

ストーリーはごくシンプル。「ぼく」の手で、実際にはいないようなカラフルな動物たちが次々に描かれていく、というものです。
その生き生きした絵がみどころ。

この作品は、20世紀初期のドイツの画家フランツ・マルクへのオマージュであり、巻末にはマルクの絵も載せられています。

カールさんの子どもの頃、当時住んでいたドイツはナチス政権下。
写実的でない絵は「堕落した美術」と蔑まれ、見ることを禁止されていました。
しかし美術の先生にこっそり見せてもらったのが、マルクの青い馬の絵。
カールさんはそれに感銘を受け、影響されました。

その青い馬を登場させたこの絵本には、「まちがった色なんてない。自由に、自分が思う色で描くんだ!」という、カールさんの思いが込められています。

日本語版『えを かく かく かく』の本文

日本語版の本文について、冒頭の部分を紹介しながら見ていきます。

 

https://s3-ap-northeast-1.amazonaws.com/kss-data001/book_images/9784033482804.IN01.jpg

ぼくは えを かく。
えを かけば ぼくは えかきに なる。
いまから かくのは とっても

 

https://s3-ap-northeast-1.amazonaws.com/kss-data001/book_images/9784033482804.IN02.jpg

あおい うまだ。
もっと もっと かく。
ものすごく

このあと

あかい わにを。
ぼくは どんどん かく かく。
ずいぶんと

と赤いわにが登場し、さらに黄色い牛、ピンクのうさぎ…と、鮮やかな色の動物たちが描かれていきます。

 

これを読んだとき、かなりのインパクトがありました。
絵を描く情熱、勢いがあふれているなあ!と。

もちろん、絵のもつ迫力や躍動感もあるのですが、文章から感じたものも大きいです。

私が強い印象を受けたのは、次の3つの表現です。

イ.「かく かく かく」のようなくりかえし表現

タイトルの『えを かく かく かく。本文でも「もっと もっと かく」「どんどん かく かく」などと、全体にわたってくりかえし表現が出てきます。

次々に描いていく手が止まらない、描きたい気持ちがあふれてくる!そんな感じが伝わります。

ロ.文が途中で切れ、次の見開きにまたがる

とっても 《ページめくる》 あおい うまだ。

とか、

ものすごく 《ページめくる》 あかい わにを。

といった、文が途中で切れて次の見開きに続くところ。

読んでいても、どんどん次のページへ、次のページへとめくらずにいられなくなります。

この主人公も、息つく暇なく次の絵を描きたくてたまらない。そんな疾走感を感じさせる書き方です。

これを「とっても…」「ものすごく…」としなかったところがポイントだと思います。
「…」があると(続きますよ)という一呼吸の間ができ、心の準備をした上でページをめくる感じになりますが、「…」が無いことで駆けていくような勢いが出ているのではないでしょうか。

ハ.「えを かけば ぼくは えかきになる」

ぼくは えを かく。
えを かけば ぼくは えかきに なる。

というのは、少し変わった表現です。

みなさんはどう解釈されたでしょうか?

私は、「ぼくが絵を描くなら、職業画家かどうかは関係なく絵描きなんだ」という意味にとりました。
そこに、絵を描くことへの誇りや気概、意志の強さといったものを感じとりました。

「ぼく」がどういう人物かについても、見解が分かれるかもしれません。
私には、「職業画家というわけではない、職業画家を目指しているかどうかも不明、それは関係なく、絵を描きたいという気持ちにあふれた少年」だというふうに見えました。

 

英語版The Artist Who Painted a Blue Horse”の本文

さて、もとの英語版では、どのような表現だったのでしょうか。

※画像は日本語版を参考として再掲します
 (英語版は著作権をクリアできる画像が見当たらなかったため)

https://s3-ap-northeast-1.amazonaws.com/kss-data001/book_images/9784033482804.IN01.jpg

I am an artist.
And I paint…

 

https://s3-ap-northeast-1.amazonaws.com/kss-data001/book_images/9784033482804.IN02.jpg

a blue horse
and…

この次の見開きは、

red crocodile
and…

 です。


どうでしょう?

全然違う!と思ったのではないでしょうか。

日本語版で印象深かった表現3つを見てみると、

イ.「かく かく かく」のようなくりかえし表現 → 原文には無い

タイトルも”The Artist Who Painted a Blue Horse”(青い馬を描いた画家)。
本文にも、「かく かく かく」のようなくりかえし表現は最後まで全く無いのです。

ロ.文が途中で切れ、次の見開きにまたがる  → 原文では”and…”

日本語版の「とっても」「ものすごく」「ずいぶんと」に当たるような語が、英語版にはそもそもありません

次の見開きに続く部分は”and…”。
直訳すれば「そして…」という感じでしょう。

接続詞でつながるので、日本語版のような途中でぶつ切りになっている感じはなく、おだやかに次に促す感じがします。

また、””があるので、一呼吸おく感じになり、日本語版の息せき駆けていくようなスピード感もありません。

ハ.「えを かけば ぼくは えかきになる」 → 原文では”I am an artist.”

日本版のような意味ありげな言い回しは一切無く、単純に”I am an artist.(ぼくはえかきだ)。
素直に読むと、主人公は(職業)画家であるということになります。

また、タイトルと相まって、主人公=フランツ・マルクその人あるいはマルクをモデルにした人物と見るのが自然だと思います。

日本語版では少年に見えていた主人公ですが、画家の青年と思って見れば、絵も確かにそのように見えます。


全体的に、英語版はまったくもってシンプルで変哲のない文章です。

読む方のお楽しみのためにこの記事では引用しませんが、最後の見開きも、日本語版は力強い言葉で締めくくるのに対し、英語版ではごく平凡なひとことで終わります。

 

まとめ

このように、日本語版で私にとって印象が強かった、情熱・勢い・気概を感じさせるような特徴的な表現はどれも原文には無い、ということがわかりました。

あまりに違うので、びっくり!

前回の記事では『はらぺこあおむしもりひさしさんの訳を直訳にたよらない”再創作”としてご紹介しましたが、この『えを かく かく かく』のアーサー・ビナードさんの日本語訳はそれ以上。
意訳とかいうよりも、そもそも翻訳を超えているのではないかと思うくらいに、オリジナルの表現を盛り込んでいます。

正直なところ、翻訳は原作のニュアンスをできるだけそのまま表現した方がいいのではないか、こんなに変えてしまっていいのかという疑問もあるのです。

原文のシンプルさこそ良い、改変は好ましくないと思う人もいるでしょう。

ただ、私はこの本の日本語版に出会い、その表現の迫力に胸をつかれるような感覚がありました。
もし英語版を先に読んでいたら、それほど印象に残らない絵本と感じたと思います。

アグレッシブな踏み込んだ翻訳により、この絵本の「自由な絵を描いていいんだ」というメッセージがより深く強く伝わるものになりました
それは、直訳に近い忠実な訳よりも、ある意味で原作の意図をよく伝えていることになるのかもしれません。